ルーマニアの村
こんにちは。
さて、先日このブログを書く為に何気なくルーマニアのガイドブックをパラパラ眺めていたら、ある記事が目に止まりました。それは、「チャオセスク政権時代にルーマニアの農村を取り壊し、新しい工業都市を建てる計画があり、取り壊し予定だった村は8000にのぼる」と言うような記事で、取り壊し予定の村は主にトランシルバニアに集中していたと書いてありました。
結局は国の財政難でこの都市化計画は思うように進まず、取り壊された村は20程に止まったらしいのですが、もし実行に移されていたら私の訪れた村も、次回行ってみたいと思っている村々ももう無くなっていて、代わりに社会主義スタイルのコンクリートの��物が並んでいたのかと思い、この計画がほとんど未完に終わってよかったなと思いました。
そもそも、この都市計画とは何だったのだろうと思い、調べてみました。大まかなところはこんな感じです。
ルーマニアは1940年以前はロシアと並ぶ農業国で、その後の不均一な発展は農村部と都市部の激しい格差を産み、農村部から都市へのコントロールされていない移住は都市への負担となり、また農村部の労働力として女性、子供、老人に頼ることが多くなりました。それらの問題は理想主義の立場において認められないものでした。
そこで1972年、政府はこの問題に答えるために近代的な工業都市を農村部に新しく作る案をだしました。
1974年から公式に始まったこの計画、1990年までに都市の数を倍にする見通しを建て、550の村はそれらを工業都市に作り替えるための資金と物資を受け取る対象に選ばれました。
この都市計画は学校、病院設備、新しい住宅、そして新しい産業への資金投入をうたっていました。
資金と物資の援助を受ける条件として、村の人口が3000人以上であることが上げられましたが
、大部分の村は人口が1000人未満、500人を切る村も多く、それらの村々は経済成長の要素がすくないため不要と見なされました。
1970年代の予定では3000の村が不要とされ、それらは強制的にとり壊されるか、あるいは村のケアを最低限にすることで段階をおって住民は都市化される村へ移住を止むなくされる予定となりました。
それらの住民は都市化される事に選ばれた村に移住し、それによって都市化計画の設備投資がより有益に使われることになると言う理論でした。
計画自体はルーマニア国内を網羅していたものの、資金不足のため実施はほとんど進むことがなく、新しい街が建てられる事はありませんでした。
1980年代中盤に入るとブカレスト郊外のいくつかの村が空港拡大とブカレストードナウ運河の建設計画のために取り壊され、そして8平方キロメートルに及ぶブカレストの中心部が取り壊されました。この時に修道院、古い教会群、歴史的な建物がとりこわされ、4万人もの人々がたった24時間の勧告で家を退去する事を余儀なくされました。このエリアに建てられたものは5万人が集まれる広場や悪名高い国民の館がふくまれました。
国全体の都市化計画はただ引き延ばされただけであって無くなったわけではなく、その証拠として1987年には取り壊し予定の村は7000−8000に上っていました。
住民はこの都市化計画が劇的な社会的、文化的な混乱を招き、経済的な困窮を進めるものとして厭いました。
ハンガリーと西ドイツを匹頭とする国際社会はこの都市化計画を少数民族の文化を乱暴な形で破壊するもの(トランシルバニアの村が主として取り壊しの対象であった)として批難しました。
取り壊しを辛うじて逃れた村は教会に代わるものとして公民館のようなものを持つ事とされ、1989年までには多くの教会が取り壊され、再建の予定はありませんでした。
教会や村々の破壊は文化的、歴史的な過去への繋がりを壊しただけではなく、村の共同体の繋がりをも脅かすことのなりました。
というようなことだそうです。
もう一つ思ったことはもしもルーマニアがもっと豊かだったなら、または民主化が早く進んでいたならば、やっぱりそこまで伝統的な暮らしや文化は残っていなかっただろうなと言うことです。今でも生活は苦しいらしく、「チャオシェスク時代の方がくらしが楽だった」と言う意見も多いそうです。
ルーマニアから伝統的な暮らしや文化が消えないうちに、また時間をかけてまわってみたいと思っています。今度はお祭りを見に行ったり、普通の民家にもお邪魔してみたいです。
トランシルバニアでは馬やロバ、馬車を一週間単位で借りて旅行する事も可能!だそうです。素敵ですね。
http://www.greenmountainholidays.ro/home.html



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